~ 今日の一言 ~ 人に寄り添うことも難しさ

~今日の一言(NO.199)~

・上司から無茶苦茶怒られた人がいて、周りの人たちが

 「大丈夫。大丈夫」と聞いているのを見ていて、その大丈夫の

 問いに、その本人は、迷惑そうな顔をしていた。

 

 優しさから「大丈夫。大丈夫」と心配してくれる人もいるが、

 本当に苦しんでいるときは、そっとしてほしい時期もある。

 また、その人のことを心配しているというよりも、

 自己満足で聴いているのではないかと思える人もいる。

 

 「いつも力になるから。何かあったら声をかけて」

 くらいでボールを投げてくれる方がありがたいのではないか

 (ネット等からの抜粋)

 

 ⇒ 人に寄り添ってあげたいと思うものの、寄り添い方や

   そのタイミングは本当に難しいと思う。

   力になってあげたいが、どんなことがあるのか

   考えても思いつかないこともある。

 

   確かに記事のように

   「何かあれば100%あなたの力になりたい」

   「いつも力になるから」というメッセージを発するだけでも

   よいのかもしれないと改めて思った。

   頼れる人がいるだけでどれだけ心強いか。

   

~ 今日の一言 ~ 長い目で見ると苦労も自分の力なり

~今日の一言(NO.198)~

・あるカウンセラーの先生の話

 自分の子どもが小児がんになった。

 自分の子が小児がんと聞いた時には、なぜこのような最悪のことが我が身に

 起こるのかと嘆き苦しんだが、いろいろな人の助けや治療の甲斐があって、

 子どもは、奇跡的に回復できた。本当によかったと思う。

 

 子どもが小児がんになったことで、小児がん病棟に通うようになり、

 そこの子どもたちにカウンセリングを実施するようになった。

 そして、これがきっかけとなり、その時の体験等をまとめた本を出したり、

 講演をするようになった

 

 苦しんでいたりする時は、分からないが長い目で見ると、あのことが

 あったから今の自分があると思っている

 

 ⇒ 大学のときは、将来、教育にたずさわれればと思っていたから

   今働いている業界で必要とするような、知識は、何一つ

   持っていなかった。

 

   会社に入ってみて、当たり前だが、同僚との基礎知識の違い

   に愕然とし、当然社内の試験を受けても、一発で合格にならない。

   本当にやって行けるか不安になった。

 

   周りの人たちの支えと、負けるもんかという思いから

   一生懸命勉強するようになった。

   このコンプレックスがあって努力した勉強したおかげで

   今があると思う。

 

   これがなかったらどんな人間になっていたことか・・・    

 

~ 今日の一言 ~ いけばなに学ぶ

~今日の一言(NO.197)~

池坊専好さんが、いけばなに対する思いを語っていた。

 「いけばな」をする際には、「一木一草」に心をよせて花を活ける。

 枯れ枝やつぼみであっても若葉や花と同じいのちと捉え「美」を

 見出して行く。

 

 花は、どの瞬間も美しい。それぞれの段階でどれも輝いていて、

 全てのものたちがいのちの尊さをうったえてくる。

 

  いのちの尊さを学び、花の姿の中に自分の思いや願いを託したり、

 また、いけばなを介在として多くの方に喜びを伝えて行けるところに

 「いけばな」の魅力があると思う。

 

 ⇒ 山登りをする中で、小さな草花に強い生命力や美しさを感じたことや

   有名ホテルのロビーのいけばなを見て感動したことを思い出した。

   美しいものを見ることで、自分の心が満たされて行く。

 

   心が満たされて行くことで、充実した生活を送ることに繋がる。

   たまたまネットで見た記事であったが、これもご縁だと思い

   今度「いけばな展」を見に行こうと思う。

 

~ 今日の一言 ~ 根拠をもって行動する

~今日の一言(NO.196)~

・キャッチャーが、ピッチャーに投げさせるとき、様々な状況を

 考慮した上でサインを出す。

 サインを出す時には、ただ何となくとか、直観とかではだめだ。

 

 ゲームが何イニング目なのか? 点差は?

 ボールカウントやアウトカウントは?

 その打者はその前の打席でどのような対応をしたのか?など

 を考慮し、確かな根拠をもってサインを出さなければならない。

 

 野村監督は、古田選手や嶋選手がベンチに戻ってきたときに、

 あの時投げさせた球種やコースの根拠を聞いていたとのことだ。

 

 配給は、結果論であるが、適当に投げて良かった、悪かったでは

 意味がない。意図した配給をして、結果がどうだったかが大事。

 

 ⇒ 仕事も同じである。

   「成果」があがったことは良いことであるが、

   それが自分が努力した結果だったのか、棚ぼた(他人が働いた結果

   でできたものや、ただ何となくやってでた結果)だったのかで

   大きく違う。

   「因果応報」自分が頑張った裏には、成長という成果もついてくる。

 

   

~ 今日の一言 ~ 人は生き続ける

~今日の一言(NO.195)~

・父の3回忌の法要の際に、

 いろいろな方から、自分が知らなかった父の行動や発言等を

 聞くことができた。

 自分は、父の姿のほんの一部しか見ていなかったことに

 気づかされたと同時に、いろいろな父の素顔が見聞きできて

 本当に楽しかった。

 

 父は、戻らないが、いろいろな人の心の中で生き続けていて

 ことあるごとに姿を現す。

 今でも家族を笑わせ、癒し続けているし、家族の潤滑油となり、

 そして、家族の絆に何役もかってくれる。

 

 くしくも9年前のこの日、

 2011年3月11日に、東日本各地に大きな被害を引き起こした

 大規模地震災害(東日本大震災)が発生した。

 私の家族は、難を逃れたが、すさまじい被害だった。

 今思い出しても、涙が出てくる。

 

 故人には、触ったり触れたりはできないけれど、心は今でも 

 つながっていると思う。あなたに勇気を与えてくれているし

 あなたを今でも支えてくれている。

 

 亡くなられた方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

~ 今日の一言 ~ 周りをよく見てみよう。一人じゃない

~今日の一言(NO.194)~

・今まで自分の身体はただの憂さ晴らしの道具でしかなかった。

 むしゃくしゃすると平気で自分の身体を傷つけたりもした。

 

 ある人に誘われて、メンタル関連の講座を受けた時に、

    先生が

  「あなたが病気になったときは、その病気を治そうと、あなたが

   寝ているときも、一時も休まず、病気を治そうと一生懸命に

   頑張ってくれている。

   あなたの身体はあなたの存在を全て受け止めている。

   君の身体は決して君を見捨てない。君の身体はいつも君のことを

   守ってくれている」

 と話していたのを聞いて、涙があふれてきた。

 

 その日初めて、自分の身体を撫でながら、自分の身体を抱きしめて

 「今まで気付いてあげられてなくてゴメンね」

 「傷つけてゴメンね。痛かったよね」

 「誰よりもずっとそばにいてくれたんだね、ゴメンね」って謝った。

 

 自分の身体は、私が普通の今日を生きるためにの一生懸命頑張って

 くれていて、自分の身体は、一番大切なパートナーということが

 理解できた。

 

 ⇒ くじけそうになった時、自分は一人だと思うこともある。

   心を落ち着けて周りをよく見てみよう。

   自分は、本当に一人なのだろうか。

   振り返ると自分を守ってくれるものが、沢山あることに気付く。

   記事のように自分の身体もそうだし、家族や友達、先輩や職場の

   仲間もそうだ。一人ではない。

   

~ 今日の一言 ~ 勇気をもって一歩を踏み出す

~今日の一言(NO.193)~

・デザイナーになる夢を持っていたが、車いす生活になり、希望が持てなく

 なり、ひきこもるようになった。

 外との唯一のつながりが、車いす生活を続ける人たちのSNSだった。

 SNSを見ていたら、「車いすのファッションショー」があることを知った。

 

 思い切ってそのファッションショーに参加してみたら、

 車いすの人たちがより良い生活を送れるようにと頑張って働いている

 方々に会えた。

 

 その人たちに自分の夢や思いを伝えたところ、「一緒によろうよ」と誘って

 もらえて本当に嬉しかったし、私の進むべき道が開けたと思った。

 少しずつではあるがデザイナーとして洋服を作れるようになってきた。

 

 服は外にはばたく翼であり、着ると強くなれるような気がする武器だと

 思う。その思いを胸にいろんな洋服を作って行きたい。

 (ネット等からの抜粋)

 

 ⇒ 人生は、どこでどう変われるかわからない。

   勇気をもって一歩踏み出してみることが、新たな人生を切り開く。

   人は、出会うべくしていろいろなものに出会っていると思う。

 

   今、一緒に働いている職場の人たちもそうであるが、出会うべくして

   出会っていると自分では思っている。

 

   日々、いろいろなことが起こり悩んだりもするが、

   職場の皆さんもそうであるが、いろいろな人と話すことで、勇気をもらい、

   支えてもらい、かつ本当に、楽しく充実した時間を過ごさせて

   いただいている。「多謝」。