~ 今日の一言 ~ 「人を知らずを憂う」って、そういうこと?

~今日の一言(NO.81)~

論語 子曰く 人の己を知らざるを憂えず、人を知らずを憂う

 

 「論語の読み方」(渋沢栄一

  自分が他人から認められないからといってクヨクヨ思い煩うよりも

  他人の真価を見抜けない自分の低い能力を思いわずらう人になりたいものだ。

 

 ⇒ 人には認知欲求があり、「人から認められたい」ということは、

   その通りであるが、人に認められるためだけにやっているわけではないので

   「人の己を知らざるを憂えず」ということはよくわかる。

 

   しかし、「人を知らずを憂う」=他人の真価を見抜けない自分の低い能力を

   思いわずらう人になりたいものだという点はよく理解できていなかった。

 

   昨日「大人の論語塾」に参加した際、

   聖人君子である堯や舜は、うまく天下を修めていたが、国を治めるにあたり、

   人を見極め「適材適所」を常に実施し、その人が活躍できるようにして、

   自ら目立つことがなかったので、民からは何もしていないように思われていた。

   

   人の真価を見抜く→適材適所に人を配置する→国が良く治まる

 

   その人がどういう人なのかということを見抜くとは、組織をより良く治める

   前提であり、マネジメントの基本であり、それが出来ていないことを憂う

   ということは、その通りである。なるほどと腹落ちしました。